それを、下から見るか? 横から見るか?

 また久しぶりにnoteをつかって、えげつないオタクトークを繰り広げ始めてしまった。

(これ:私のDisenchanted|note)

Disney+で公開された『魔法にかけられて2』が、思った以上に刺さったから。

自分のクセとして、たいてい独自目線の価値を見出すものだから、あまり共感されにくい感想や感情を抱く。


たとえば大ヒットアニメといえば、新海誠監督作品の『すずめの戸締まり』。

『君の名は。』以降の深海作品はなんとなく「ああ私の求めてるものじゃないな」と思うので観ていなくて、題材的には『すずめ』は観てたのしいかな?と思ったけれども、どうもそういうことじゃない(そういう目線が50%以上をカバーし切らない)気がして、劇場に行くのはやめてしまった。多分このまま永遠に観ない…。


深海監督の作品は、高校生の時に『秒速5センチメートル』に出会ってから、あのぐずぐずに煮詰めたみたいな感情の渦のセカイが好きで、そして「それでも世界は美しいことに変わらない」と思わせてくれる背景美が大好きだった。

その分、そうした要素を薄めたような『君の名は。』は、公開早々仕事終わりにレイトショーにまで観に行ったのに絶句してしまった。そうしたショックで「もうそういう作品時期ではななくなられたのね」と観ないことにしてしまった。

私は「毒」が吸いたいのに、めちゃくちゃに綺麗な空気を吸わされた気がしたのだ。


『魔法にかけられて2』も、配信直後同じように絶句したり、落胆した人の感想を見かけた。

配信して視聴する時間をとるまでの間にそうした感想を目にしてしまって「え、そんなひどいのか…(まあディズニーの”2”やし…)」と思いつつ、

まあそういった感想の詳細は見た後にしよう、と思うくらいにはどこかで期待したまま、それでも一番大嫌いな家事・洗濯物たたみのながら視聴を決行した。


そしたらまあ全ての手は止まり、なんなら試聴していたiMacとは別にMacBookを開いてメモテキストを取り始めてしまった。

私には見事に「いいところ」がクリティカルヒットだった。

一気にテキストに書き上げてから、落胆した感想をあげていた人たちの記事を見に行った。


ここで信じてほしいのが

決して「おうおう、どんな感想やってんワレェ…」という対立の態度を決して抱いていないということ。

私の信条は、決して何かが絶対的に正しいという価値観は存在しないという大前提を忘れないこと。もちろん、感情が揺さぶられて先に立つことがあっても。


落胆の感想をそれぞれよく見ていくのは、「あんまりにも見ている視点が違った!」という驚きに満ちていて面白くさえあった。

むしろ「ああ、そんなふうに見ていた人には、確かに悲しいはずだ」と共感できた。


ただ、注目している視点が違う。それだけ。

共通点があるとしたら、大きな落胆をした人の多くは「作品」をかなりロジカルに楽しむ人だということ。

作中に登場するオマージュや、意図された演出、演技ひとつひとつを拾い上げる能力に長けていて、だからこそ『魔法にかけられて』という作品が、つぎつぎにワクワクさせてくれる最高の映画だったと感じた人たちのように思う。


私も、わりとそちら気質なところはあるけれど、ツボるディズニーなど「あ!これは!わっ!わっ!」と、感情の興奮が勝って静かに見ていないので精度が地の果てまで落ちている。

故にこの映画においては、”いいところ”が私の中で”落胆ポイント”を全部カバーしてしまったのだと思う。


かおちゃん(KAORU World)は「りんごは赤いって言いたくない」という。

それは誰かにとってそのりんごは、黄色味が残っているかもしれない。まだ青いりんごかもしれない。りんごサイズの赤い木の実かもしれない…。

それら全てを「アリ」にしていたいという。

私もそうでいいと思う。別のものを消す必要はない。自分以外の意見を不快に思うことさえ許されていい。


「『すずめの戸締まり』よかったよ!」

強く進める人がたまに出てくる。普段はそうでなくても、ここまでヒットして、多くの人が共感し合っているから。

会う人会う人と「だよね!」と共感しあえるのが楽しくて、私ともその共感を悦びたいと思ってくれるんだと思う。

だから、余計に視点が違うだけで、良い悪いは決してつけ難いのがこの世のものなんだろうなぁと思う12月だった。




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