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猫の子守り

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子どもが悪夢を見たあと、眠るのが怖くて泣いてしまう。という描写は一般的で、身に覚えのある人もいるんだろうと思う。 私も学生の時に、あんまり恐ろしい夢で「悪夢が怖すぎで、あれは本当に夢だったって思わしてくれ」と、スレタイのような発言をグループLINEに落とした深夜を経験したことがある。 (「おう、生きろ」「乙です」と返してくれるから、おまいらもあの頃はやさしかった) 悪夢を見たわけではないけれど、目を閉じたら悪夢のような思考が襲ってくるから、目を閉じられない。眠れないというプレッシャーが辛くて、ベッドサイドの灯りを消せない。日が沈んで、月明かりも見えない高さに行ってしまうと、孤独で泣き出してしまいそうになる。 息も絶え絶えに、枕元の万年筆と、雑記帳を手繰り寄せる。 「ネガティヴな気分は、紙に書き出してみましょう!」 を実践する。ただただ、どこからか湧き上がってくる感情をそのままに、ペンを走らせる。 オシャレ女子みたいなスタイルではない。行き倒れみたいな体勢で、するすると滑るようにインクを紙に乗せて、書き殴るように感情をぶつける。 途中から、泣きながらになってくる。 自分の感情のピークはここかと、初めて認識する。普段から感情の波には忠実だけど、その波の高さを均一にしてしまうからか、どこが最重要ポイントかは、こうした時にしか捉えられない。 そうじゃないはずだ といつも波の高さを抑えるときに使う言葉を、止まった次の行に書き加える。 無理矢理にポジティブに変換するのは嫌いだけど、自分が認識している確かな「そうではない」を、なんとか内側に落とし込もうとする。 まだ内側に染み渡っていない。それでも、頭では理解が始まっている。もしかすると、きっと、そうであって欲しい。 泣き疲れて、やっと眠る。 その夜以来、飼い猫が家にいる間独りにならないよう、姿の見えるところから離れなくなった。 ありがとねぇ、と撫でるとなんだか誇らしげな顔をする。 猫に心配されるから、ほどほどに。 とはいえ多分これは、ただのPMS。 Photo by Quin Stevenson on Unsplash

牡羊座新月「the show must go on」

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牡羊座ですから、当然「はじまり、はじまり〜」とお声がかかるわけです。というか、もう始まってた!くらいの勢いで。 この新月の前、なぜかひたすらに焦っていました。準備を整えなければ!と。 焦っているわけも、ただ段取りが悪いだけというか、明日引越しなのにまだ全然荷物の用意が出来てない!みたいな。 とはいえ、案外準備は整っていたということに、玄関で靴を履く時に感じるのです。 鏡の前に立ち、そっと後ろから肩に手を添え兄が嬉しそうに語りかける。 ほら、何も心配いらなかった。 日頃から準備をしておけば良かったと、嘆いた目覚めから、あっという間に見たことのない姿に変わっている。 兄は誇らしそうにしている。これが私なのだろうかと心配になる。何をいつまでも心配しているのと後ろから笑われる。 それでも不安で俯くと、スッと手が伸びてくる。白く美しい手が、私の顔を上げさせる。 前を見なさい。その瞳は遠くを見るほどに深い輝きになる。 彼女がそういうと、兄もおかしそうにしているのが、視界に入る。 二人して笑わないでよと言えば、二人とも声を揃えて、だったら堂々としていなさい、と。 遠くから、ドラムマーチが聞こえる。進む時を迎えているのだと。 彼女のようにと思わなくていい。あなたはあなたの役割がある。あなたはその務めを十分に果たす準備が整っているの。 頭の中を読んでいるのかしらと、思う。私はまた、あの先頭に立つ人のことを考えていた。 勇ましく、剣を奮えるようにあらねばと思っていた。けれど私にその力はなくて、代わりに与えられているものがあるんだから、比べてはいけないよと、兄が微笑む。 ぼくは君が誇らしい そして君の微笑みが、幸運を届けてくれる。 君の美しさは、ぼくらの癒しになる。 さぁ、みんなが待っているよ。と、手を引かれる。 光が差し始める。 さぁ—— 望まれてそこに立つのだと、胸を張る。 遠く縁に立つ彼は表情は変えない。あなたはまたそうやって、私を揺らがせる。きっとあなたはそれを期待している。私が揺らぐことを。でもきっと今日は、あなたも目を見開くはず。 絵は浮かぶのだけど、詳細は言葉にし難い物語が、断片だけ現れて、拾い上げてみるとそれは一つの物語だったようです。 白飛びするほどに晴れた、春霞のような乾いた世界で、その乾いた世界はまだ続いているように思われたのですが、少しずつ地下には水脈が広がってい

"ネガティヴ"を見つけたらほじくり回す

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「あ、お役御免ってことですかね」 「お払い箱ですね」 「用済みっスか」 口癖のように出てくる。 癖として出てくる"そういう方向にする"言葉を、なるべく頭の中で、素直な方向に変換するようにしているのだけど、こればっかりは変換が難しくて、困っている。 まあこの言葉は大体男の人に言う。 みんな何度か私という「コンテンツ」を楽しんで、消費したら、ポイする。 役に立つか、役に立たないか 自分を「コンテンツ」にしている自分がいる。 それは引き出しが多いほどに喜ばれるような、浮薄な人間関係ばかり築いてきた故なのかもしれない。 そうして、コンテンツは消費され飽きられると、人々は別のコンテンツに移っていくので去っていく。 親しい人に会うことを躊躇う時、必ず相手にとって私と過ごす時間は有益なものになるだろうか、と考えている。 たとえば一緒に映画を見にいくのは、映画を見る「ついでに」私と過ごしてもらう事になるので、心的負担が少ない。 常に、私がいなくても成り立つ予定でないと、人を誘うのはプレッシャーで、「(相手にとって)私がいないと成り立たない時間」など存在しないし、あったとしても無価値だと思っている。 ——私は無価値だ。 こういう"思い込み"を解除するためには、裏打ちする経験を探るのがいい。 まず思い浮かぶのは、その考えの後支えにしている経験。 元彼は、私に飽きたら突然姿を消して、気が向いたら戻ってくるのを何度も繰り返した。 私の目には、電池が0%になった携帯を捨てて、充電された頃にまた拾いに来るように見えた。 10年くらい、何度もそうだった。 繰り返しを引き起こしているから、どこかで「自分はそうされて然るべき」と思っているのがもう透けて見える気がする。我ながら哀れだなぁ。ヨシヨシ ——私の人生は悲劇でないといけない。 じゃあ、その思い込みの元型はなんなんだろう。大抵こういうものの発端は、些細な幼児体験だったりするけど、記憶には思い当たるものがない。 子供の時の記憶なんて曖昧なので、思い出せないだけかもしれないけれど、下手をすると現世ではそんな経験はなく、過去世からの傷だったりもするから、本気で掘るには、ちょっと人の手を借りないと難しい。 ただ、歳のわりに長いこと"スピリチュアル"なこと、内側のことに触れて生きてきたけれど、ず

会うこと、関わること。

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友達が少ないなぁと感じる要因として、もともと人に会うスケジュールがコンスタントにあるタイプではなかったことがある。 「Stay home」と言われても、さほど苦痛ではなかったくらいには。 と、思っていたのだけれど「スケジュール(予定)」していないだけで、思いつきで人に会うことが多かっただけらしく、あれ以来どうやって人と会う機会を持つのかわからなくなって、ひきこもりっぷりに拍車がかかってしまった。 「自分で誘う」ということはすごく苦手で、迷惑だったらどうしよう、断るにしても気を使わせたらどうしよう、という素晴らしいネガティヴっぷりが発揮される。 ただ、誘われるとフットワークが軽く、夜電話がかかってきて「今みんな集まってるから、飲みに来いよ」とか言われるとお風呂上がりでも遊びに出かけていた。 当然Stay Home以降そういった機会が無くなって、いまではすっかり必要最低限の人と関わることを選択していく時期に入ったようにさえ感じる。 これはきっと、多くの人が感じているんじゃないだろうか。 ある”くくり”の友人と会う時は、なんとなく会話をどうしたらいいのかわからなくて、困る。 誘ってくれるし、楽しい瞬間もあるのだけれど、トピックスがコロコロ全く違うものへと変わっていく会話が苦手なのだ。 連想ゲームのように、「〜〜といえばね」とトピックスが変わったり、「その〜〜っていうのってさ…」とつづくような会話が好きなのだ。 いわゆる居酒屋トークが好き。 最初はなんの話をしていたんだろうと思うような。 これは本当にただの好みで、人それぞれなのでふわっと触るような話題を喜ぶタイプの人も当然いるから、その人たちとの会話では多分私の発言は嫌がられる。 元婚約者がこのタイプの人で「なんで自分の話をそんなにしたがるの?」とよく言われたものだった。 自分の話をしているのではなくて、自分の考えを話して、次は相手の考えが聞きたかったんだけれど、相手はもうその話題は掘らなくていいと思っているから、そうは見えていないようだった。 この好みの違いに気がつけず、ずいぶん長いこと互いに嫌な思いをしたままだったと思う。 これは別に友人でも家族間でも起こることで、いろんな話題で会話するタイプと深める会話をするタイプとがすれ違うと、その場の多数派に「コミュ障」扱いされてしまうんだろう。 それに深める会話をする場合、自分