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撮影で必ず見る「景色」

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  社会復帰を焦り、四苦八苦する。もがけばもがくほど、深みに嵌っていく。 うちにひとつだけ、「これなら今の自分にも出来る」と思い出したのが、モデル業だ。 大したことはしたことはない。それでも、過去の"うっかりした経験"が、今できるささやかな事をもたらした。 今回の仕事をくれたのは、婚礼バイトの頃、それも新人の頃に少しだけお世話になった"バ先の先輩"。 「モデルなら動けるっぽいんで、なんかお仕事くださいー」 「え、丁度いいのあるんやけど。ちなみに踊れる?」 SNSでのちょっとしたやり取りから、1週間ほどで話が決まった。売れっ子カメラマンすごい。 ちなみに、踊れる?という質問には 「昔、見様見真似でシンガーさんのバックダンサーしてました」 というなんとも微妙な"経験"が、ここでも効く。 撮影が始まると、思っていたよりも演技指示が入る。しかも、設定が凝っている。 とはいえ、渡されていた企画書や絵コンテの通り。 私自身としては、演技は「未経験」。得意不得意の次元にいない。 だけれども、お褒めの言葉を賜る。 「表情がめちゃくちゃいい」 ほっと安堵する。 (スチール)モデル、と呼ばれる時は、おそらく演技力はそれ程求められていない。 ただ、カメラのレンズ越しに、 どんな空気をもたらすのか どんなストーリーを想起させるのか "画面の中に何を映させる"のか、は被写体となるモデルの仕事になる。 だから、厳密にはスチール(写真)を主とする私たちも、日頃から演技をしている事になる。 どんな表情なのか、どんな表現なのか。 そしていつも、カメラを向けられると、大学の講義室での教授の顔が思い浮かぶ。 写真家の先生の授業だった。 大学に入ってすぐの、必修授業。先輩達からも噂を聞いていて、座席は最前列中央を勧められていたと思う。やる気ある学生がお好み。 先生は、秋葉原の様なキャンパスの学生達に、ドレスコードや行儀を厳しく指導する人で、「単位」をエサに献血に行かせるなどしていた。 ドレスコードチェックに、講義室にオタクどもが並んでいた列が懐かしい。 学科長で、わかりやすい、"口うるさいジジイ"キャラだった。 私は大好きだったが、それは私が先生のご贔屓だったから。 ご贔屓が過ぎて、居眠りする友人にブチギレ...

鋭角天皇はマジで気持ち悪くて冷静でいられない

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随分久しぶりに見た『かぐや姫の物語』のおかげで、スイッチが入ってしまって、呪いが復活してきた。 久しぶりにテレビがある環境でパチパチ仕事していて、金ローが始まった。 ジブリ映画『かぐや姫の物語』。高畑勲監督らしくダイナミックなアニメーション。初めて見たのも金ローだった気がする。 何が、どんな、スイッチを入れたかなのだけれど、単純なことで、この世の日本人女性が息を飲み、思わずフラッシュバックする例のシーン。 私がこうして喜ばぬ女はいないのだと、帝がかぐや姫を後ろから突然襲う(羽交い締めにする)シーン。 このシーンがいかにキモくて、「なんてリアリティなんだ」という語りも可能なのだけれど、先月久しぶりに身の毛がよだつようなことがあって、”スイッチ”が入ってしまった——。 このシーンで、背筋がゾッとした女性は多いはず。 実際に好意もない男性に、このように羽交い締めにされるまでなくても、頭をぽんぽんされたり、「俺のこと…どう…?ドヤァ」と見つめられたり、腰を抱き寄せられたり、そういうことをされた経験が悲しいことに女性の8割がた以上に見られるはず。 美醜や、容姿。モテるモテないは関係ない。この世には星の数ほど男がいて、それだけいればクズどころかゴミ以下の感性の生き物はそれなりにいるからだ。 不躾で、脳機能に障害でもあるのかと思わせるような男は、許可してもいないのに触れてくる。だいたいこういうオッサンたちは、まるで「男に——オレにモテるの、光栄だろ?」という態度なのがますます腹立たしい。 全身の毛穴が開く。髪が逆立つような感覚が走る。フリーズして、泣き出しそうになる。 けれどもそれらはコンマ数秒の時間もなく、気取られぬように笑顔になって喜んでいるふりをする。そっと男性の様子を見ながら、喜んでいるふりをして喜ばせて、隙を窺う。腕を掴まれたりしないように、少しずつ少しずつ、後ずさる。知り合いが手を振ってくれた瞬間、酔っ払っているふりをして、そちらに駆け寄る。まわりは「また今日もモテるね」と笑う。 30も半ばになっても、心身に染み付いた「かわいいコでいなきゃ」が発動する。 「男の人には、愛想良く、可愛がられなければ、生きていけない」 帝おっさんが多い。でも20代などの若い男の子でも、いる。 きっと歳をとっていけば、手を伸ばし始めるだろう。そこに、陰キャ・陽キャの境目もない。今はまだマ...

見栄をはりたくって、みっともない

本来自分が感じたり、考えたりしたことを 否定される癖がついて、黙り込むようになった。 同じく、「人様にお見せするにあたって…」「見栄をはりたい」などと思うようになり、 誰も見ないとわかっているブログさえ、黙り込んでしまった。 mixiがあって、まだSNSって言葉が生まれて間もない頃。 私はネットに自分の言葉を吐露することが大好きで それこそ迷いもなく、誰も見ていないとわかっていた。 それでこそ、自由に吐露できるのだと思えていた。 なのに、今はどうしてネットにさえ自意識過剰になったんだろう。 大人になっていくにつれ、出会った人が増えるにつれ、 くだらないかっこつけがたくさん必要になった。 出会った人それぞれに合わせて、仮面をかえるものだから、 結局どれが素顔かさえわからなくて、 気がついたら居場所が変わってしまっていて。 そしたら「みんなが見ているかもしれないところで、どの自分でいるべきか」と、 戸惑うようになった。 誰も見ていないし、誰しもが見ている。 仮面の下さえ、綺麗に取り繕って、押し黙ってしまう。 だって「どうせ、まちがってる」から。 私なんてどうせ、と寂しがりがずっと言っている。 声が聞こえたんだから、自分で自分を迎えに行ってやらなきゃいけない。 寂しいに決まってる。 だって手足をもがれたような痛みで、そこにピン留めされてしまったみたいだから。 みっともない自分を迎えにいこう。 そんでもって、開き直ろうと思う。 私はこんなに根暗で、正直幸福な状態を保つなんて芸当は、すごく体力を消耗するんだって。

ハロウィン

今は地蔵盆みたいに、子供たちが仮装してお菓子をもらいに行けるご町内とかあるんだろうか。 子供の頃、まだ周囲には「ハロウィン」なんてものが「外国のお祭り」くらいのものだった頃。弟といっしょに魔女の帽子とマントで祖母の家に行き、叔母からお菓子をもらってビデオを見るのがハロウィンだった。 うちの家は、父も叔母たちもカトリック系の学校出身であったりしたこともあって、わりと西洋文化が大好きでハロウィンもその一環なのか、物心ついた頃から普通の行事だった。 USJができたときには、ハロウィンシーズンに行くと仮装グッズが売られていて、 まだネットでそういう物が手に入ることも、ダイソーもなかった頃だから大喜びで仮装グッズを買い、毎年のようにそれを着て叔母と祖母に「トリックオアトリート」と声をかけに行った。 叔母はとくに西洋文化に詳しく、渡されるお菓子もいわゆる「キャンディ」で、日本では見かけないような色や形の飴やマシュマロが、オレンジ色のプラスチックでできたジャックオランタンに詰め込まれていた。 そして私と弟は、そのまま叔母の部屋で”ハロウィンにしか見せてもらえないビデオ”を見ていた。 ディズニー短編集で、「怖いお話」だけが詰め込まれたオムニバスVHSで、いつもはなんでも見せてくれていた叔母たちにも、なんとなくハロウィンにしか見せてと言わなかった気がする。 ミッキーたちがお化け退治をしたり、骸骨が踊るシリーシンフォニー、 「今日はラッキー、今日はラッキー、俺はついてるぞ〜」と歌うドナルド(この後最高に不運が続く)。 魔女と結託する甥っ子アヒルたち。 そして極め付けは『ナイトメアビフォアクリスマス』 ジャックとゼロは弟のヒーローだった。 まだまだマイナーだったけれど、ちょうど少しずつTDLのホーンテッドマンションでのコラボなどが現れ始めて、トレーナーやグッズを弟はよく買ってもらっていた。 (私の推しはプーさん) 学校では通じないけれど、弟と私のなかでは「ハロウィン」は当たり前だった。 ハロウィンとクリスマスは、我が家では非常に伝統的な形で存在していた。 それは毒親ながらも父が一生懸命に「子供たちが子供たちらしくいられるように」たくさん与えてくれたからだと思う。 大人になっても、ハロウィンとクリスマスは私には特別なままで、 必ずハロウィン用のディスプレイを出してきて、部屋の中に飾り、 今...

「幸せ」だけを反芻する

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京都でお買い物といえば「河原町」がキホンになる。 「河原町通」は南北の通りのことだけれど、「河原町」と言ったらだいたい四条河原町を起点に三条までがせいぜいのエリアだと思う。 南は五条までいれると言い過ぎるかな。 立派な繁華街なのだけれど、どんなに誉高いことを言おうとも、京といえども実態は地方都市なのでなんとなく古臭い。 だいたい十代から二十代がメインターゲットのような昼の姿に、オトナは烏丸通りに行ってしまうのだけれど、河原町といえばBALがある。 BAL(京都BAL)は何年か前に改装されて、我らが丸善書店を残しつつ、ちょっと背伸びしちゃいたくなるショップが入っていて、小汚いエコバッグを担いでは入りにくい。 かつての仕事終わりの姿では絶対に恥ずかしくて入れなかった。 (裏方業なので全身装飾のない黒づくめ) 今はフリーダム労働中なので、早々に仕事を切り上げてBALに向かう。 久しぶりに来たら、マリージュ・フレールのお向かいが変わっている。 マルニの奥がすっからかんになっている。 うっとりするマルジェラのバッグが並んだショーウィンドウを横目に、エスカレータを登る。 気の利いた生活雑貨が並ぶTODAY'S SPECIALで石鹸を買うなどして、やはりエコバッグが場違いな気がして急いでエスカレーターを降りる。 急いではいるのだけれど、やっぱり立ち寄らずにはいられないお店に吸い寄せられていく。 大好きなハウスウェアを扱う「Madu」をスルーできたことがない。 最近は手ぶらで出ることがやっとできるようになってきたけれど、季節ごとのテーブルウェアはチェックしてしまう。 昔は京都になくて、私の場合は叔母と過ごした横浜の店舗によく行っていた。 叔母の家にはMaduのすてきな食器が多くて、それに憧れていたこともMaduが好きな理由になっていそうに思う。 「京都にない、憧れの生活にまつわるもの」 それは私にとってキラキラした愛おしいものになったのだと思う。 これだったらこんな料理にもあれにも使えるな。 家にある、あのランチョンマットに合うな。 母のお茶碗と汁椀にも合うこのお皿はよく使えるかな。 あれこれ一緒に食事する人や、食事の内容を思い浮かべて選ぶだけで楽しい。 そうしてふと微妙な記憶がフラッシュバックする。 同棲を始めた頃に家のカトラリーや二人で使う食器を買いに来たことを思い出し...

ちょっとずつ良くなってきた。ちょっとずつね。

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 春になってから、知らぬ間に迫ってきていた”不調”の手がいよいよ伸びてきて、 気がついたらすっかり身も心も破壊された気分が続いてる。 なんとか「普通なふう」に過ごそうと、友達と会う機会を必死に削らぬようお決まりのDJパーティーには顔を出す。 どうにかこうにか、元気に愚痴って笑顔で「ほんとやばいよー!どうしようー!」と笑うことで、自分の中に鎮座している希死念慮に圧をかける。 彼は非常に厄介で、決して消えて無くなってくれない。私が元気な時だってずっとそこに座り込んで、じっとこっちを見ている。元気がなくなってきたら、そっと肩を叩いてくる。 だから彼にそこでじっとしてろと、圧をかける。 本当は、お願いだからだれかやって!この問題解決やって!!と叫び出したくなる。 けれど、そんなこと誰にも頼めるはずないし、誰もできるはずがない。 それは周囲が薄情なのではなくて、結局自分のことは自分でしか解決できないものだから。 思わず、頭の中に居座っている彼のところに泣きついて、いっそ楽になれやしないかと過ぎる。 朝起きてから出かけるまでの小さなタスクから、来週の予定をどうするか、この後誰に会うのかといったささやかなことも。 今自分が抱えている問題に対して、どのように向き合ってどう対処するのかといった実際的な事柄まで。 そして、身体の不調に気づいて対処したり、防ぐための行動や選択といったことさえも 今私は何一つ、自分でコントロールすることが難しくて 暮らしていることの全てが、惰性的。 息をしていることさえも。 そんな今の状態が非常に悲しくて、いっそう辛くなってしまう。 ただ、やっとすこし落ち着いてきたのか、周囲のサポートの手をとることができそう。 だいぶ良くなってきたのかもしれないし、底にたどり着いたということなのかもしれない。 少なくとも、自分自身の支配を自分ができていないことを、実感して認識できてきた。 だからなのか、ちゃんと文章にできるようになってきた。 ついさっきまで、自分の抱えているものはどこにどのように記せば良かったのか、思い出せなかった。 昔からずっと、とりとめのない誰も見ないだろう文章は、WEBに流してきたのに、 文章を書くことさえできなくなっていたから、今こうしてタイプしているのは良い兆しなんだと思う。

みんな普通でいる努力をしている

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クリニックの待合室。 「ぼちぼち、先生に話すことなくなってきたなぁ」とも思うけれど、ある意味通院は免罪符のようになっていて、自分にとってのフツーは " 通院するくらい " がちょうど良いのかもと思えてくる。 「フツーでいるのは難しい」 とよくぼやくようになった。 誰かの言動に一喜一憂しても、他の誰かと話すだけで心を和ませたり。 朝きちんと起きて、電車に乗ったり。 そういう、みんなが当たり前にしてるフツー。 これが私は上手く出来ない。でも何度もそうぼやく。つまりホントは「フツーになりたい」。 フツーになりたくて仕方ない。 お仕事も、フツーの企業で書類処理とか電話対応とか。朝行って、夕方に帰るとか。帰ったらご飯作って、お家のことして、眠りたい。 フツーに誰かに特別負荷をかけることなく、人と関わって暮らしたい。 ただ、フツーに暮らしたい。 でもまぁ自分のこれまでに選んできたことのひとつひとつが、今の自分の体質とか性質とかが、 フツーでいられない。フツーでいる努力をしてこなかった。 なんでこんな体弱いねん、と。 なんでこんなメンタル弱いねん、と。 通院が、フツーをきちんと行う皆々様への免罪符になってくる。 「ごめんな、こういうことですねん」 そう言うみたいな。 でも多分この免罪符は、本当はみんなほしい。 フツーの人も、本当はほしい人がたくさんいる気がする。 だから、本当はみんな「フツーでいるのはしんどい」んじゃないかな。 フツーっていうのは、 結構な努力を前提とした在り方なんだよきっと。 だから、あんまりフツーに近づけなくても良くて。 それでも、努力を惜しみたくないと思うきもちはどこから来るのかしらと結びかけの靴紐を眺めて考えてる。