「幸せ」だけを反芻する

京都でお買い物といえば「河原町」がキホンになる。
「河原町通」は南北の通りのことだけれど、「河原町」と言ったらだいたい四条河原町を起点に三条までがせいぜいのエリアだと思う。
南は五条までいれると言い過ぎるかな。

立派な繁華街なのだけれど、どんなに誉高いことを言おうとも、京といえども実態は地方都市なのでなんとなく古臭い。
だいたい十代から二十代がメインターゲットのような昼の姿に、オトナは烏丸通りに行ってしまうのだけれど、河原町といえばBALがある。

BAL(京都BAL)は何年か前に改装されて、我らが丸善書店を残しつつ、ちょっと背伸びしちゃいたくなるショップが入っていて、小汚いエコバッグを担いでは入りにくい。
かつての仕事終わりの姿では絶対に恥ずかしくて入れなかった。
(裏方業なので全身装飾のない黒づくめ)


今はフリーダム労働中なので、早々に仕事を切り上げてBALに向かう。
久しぶりに来たら、マリージュ・フレールのお向かいが変わっている。
マルニの奥がすっからかんになっている。

うっとりするマルジェラのバッグが並んだショーウィンドウを横目に、エスカレータを登る。
気の利いた生活雑貨が並ぶTODAY'S SPECIALで石鹸を買うなどして、やはりエコバッグが場違いな気がして急いでエスカレーターを降りる。
急いではいるのだけれど、やっぱり立ち寄らずにはいられないお店に吸い寄せられていく。

大好きなハウスウェアを扱う「Madu」をスルーできたことがない。
最近は手ぶらで出ることがやっとできるようになってきたけれど、季節ごとのテーブルウェアはチェックしてしまう。

昔は京都になくて、私の場合は叔母と過ごした横浜の店舗によく行っていた。
叔母の家にはMaduのすてきな食器が多くて、それに憧れていたこともMaduが好きな理由になっていそうに思う。
「京都にない、憧れの生活にまつわるもの」
それは私にとってキラキラした愛おしいものになったのだと思う。


これだったらこんな料理にもあれにも使えるな。
家にある、あのランチョンマットに合うな。
母のお茶碗と汁椀にも合うこのお皿はよく使えるかな。
あれこれ一緒に食事する人や、食事の内容を思い浮かべて選ぶだけで楽しい。
そうしてふと微妙な記憶がフラッシュバックする。

同棲を始めた頃に家のカトラリーや二人で使う食器を買いに来たことを思い出した。
食器や、調理器具を選ぶのは、私にとっての「幸せ」なんだな、と続くことのなかった幸せを想う。

インドアで家事が好きなので、専業主婦向きの精神の持ち主だと思う。
母であれ、当時の恋人であれ、相手を思って家の中を整えたり、食事を作るのが非常に好きだから。
だからそれらをより輝かせてくれる物が揃っているお店は、眺めているだけで「幸せ」だけが反芻できるのかもしれない。

その日は思うような器が見当たらなかったので、無駄遣いの衝動を抑えて出てきたけれど、
もう少ししたらクリスマスだから、あったかい食べ物を注げる器が出てくることを楽しみにしている。


UnsplashAnnie Sprattが撮影した写真

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