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静かに、ただはっきりと、そこに

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お気に入りのピアスをなくしてしまった。 外ではずした時に、ポーチに入れた気がしたのに見つからなくて、諦めた。 結婚の話がなくなってしょんぼりしてた時に、気分を上げようと購入したオパールだった。 お値段で迷ったけれど少し粒の大きい方にしたもの。はっきりと煌めくプレイオブカラーが楽しくて、ウキウキした。 なんとなく、手元を離れる時だったのかなと思っていた。 とはいえ、仕事では装飾が全くない事よりも、多少あった方が良いし、子綺麗な"なんでもない"デザインがほしくてまた新しい石を購入することを狙っていた。 とはいえ中々お店に行く機会がなくて、選ぶ事さえ逃していたのだけれど、たまたま友達とお店の前を通った時、ちょっとだけ見たいと言って立ち寄る事ができた。 散々今日買うのか、というかこれにするのか、とウダウダして「ムーンストーン」を買って帰った。 期せずして、新月の日だった。 ムーンストーンはオパールとは全く印象の違う石で、粒も今回は以前のオパールに比べれば小さいし、控えめな印象になる。 でもオパールと同じ遊色効果をもっていて、こっちは貝殻の内側のような"イリデッセンス"が煌めく。 オパールの時の主張するような煌めきではなくて、時折きらりと光り、目を引く。 もちろん名前の通り「月」とのストーリーも多くて、蟹座(守護星;月)の私には、月モチーフは心躍ると同時に安心する。 で、買った次の日の朝にオパールが出てきた。 いつも持ち歩いているオオサンショウウオポーチの、しっぽの先から!! でもなんとなく、どっちをつけようかとはならなくて、ムーンストーンばかり選んでいる。 オパールをたまにはつけよう!と思ってもなんだか心が乗らない…。 オパールを買ったとき、こころの中は、どこにいても自分を見つけてもらえるような、そんな煌めきを手に入れた気分だった。 その場にいるだけで華になる。「私!」と言う主張の強い存在感。語気が強いから「あたし!」だったかもしれない。 それはある意味で、"家庭に入るんだ""この人を支えていくんだ"という古風な固定概念によって抑えつけてしまった「自分」の反動だったんだろう。 どう考えても私は、人の影に入ったりして大人しくしていられるワケないのに。 当時は相手と一緒に居ようとすれば、そういう自分

いつまでそのステージにいるか、どうするか

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「そういう時期」というものは、多くの人にも思い当たるものだと思っている。 たとえば最近のわたしは、 自分一人で完結させられる、できることについて。 がブーム。 自分のできない事は新しく覚えたり、できるツテを頼ったりしていたのが、 いま手元にあるもので完了です! というモードに入っている。 それは、 もう十分に自分の中に蓄積されたものだけで完結できるくらいになったと自覚せよ という事なのかな、という解釈をしていて。 わたしには決してサイキックな能力はないから、神様の声もハッキリ聞こえないし天使も見えない。 だからヒーリングツアーや講座の受講、定期的なセッションが欠かせなかった。 そうやってインプットして、みんなと足並みを揃えていないと、魂のアセンションのチャンスを逃してしまうとか、そんな風に感じていたから。 ただ盲目的だった当時でも、これっていつまでも続けるものなのかな?と、心の奥底でふんわりと思っていた。 それが、きっかけがあって足が遠のいて、はじめはそれも不安だったのに、寧ろ感覚は研ぎ澄まされていって、お金も体力も時間もとれる限り使ったのが嘘のように、取捨選択ができるようになった。 いまはスピリチュアル関連の高額な講座は受けなくても平気でいられるし、興味のあるトピックスのワークショップくらいしか行かなくなった。 それは学びを"修了"したのではなく、私の中に蓄積された知恵と経験が、そうした分野に関する学びをキャッチするための受容体を立派に育て上げたという事なんだと思っている。 「掴めないかもしれない」という不安から解放された。 わたしに必要な事なら、目に留まるし気がつく。その学びの場に行く準備が自然と整う。 だから、こっちから必死にとらなくても大丈夫だ、って思えるようになった。 がむしゃらに自分のこころの事や、人の生き方について勉強したかったあの頃は、今では信じられないくらい貯金をして、講座やツアー、個人セッションに費やした。 仕事も今では考えられないほど休みを申請していた。 それが可能な環境だった。生活もわたしのモチベーションや身体的なコンディションも。 あの時から「必要であれば、環境がそうさせてくれる」のは変わっていないんだから、そういうところも安心できるのかもしれない。 誰かと話している時も、全然違うとこらから湧き上がるひらめきの言葉が、相