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12月, 2022の投稿を表示しています

それを、下から見るか? 横から見るか?

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 また久しぶりにnoteをつかって、えげつないオタクトークを繰り広げ始めてしまった。 (これ: 私のDisenchanted|note ) Disney+で公開された『魔法にかけられて2』が、思った以上に刺さったから。 自分のクセとして、たいてい独自目線の価値を見出すものだから、あまり共感されにくい感想や感情を抱く。 たとえば大ヒットアニメといえば、新海誠監督作品の『すずめの戸締まり』。 『君の名は。』以降の深海作品はなんとなく「ああ私の求めてるものじゃないな」と思うので観ていなくて、題材的には『すずめ』は観てたのしいかな?と思ったけれども、どうもそういうことじゃない(そういう目線が50%以上をカバーし切らない)気がして、劇場に行くのはやめてしまった。多分このまま永遠に観ない…。 深海監督の作品は、高校生の時に『秒速5センチメートル』に出会ってから、あのぐずぐずに煮詰めたみたいな感情の渦のセカイが好きで、そして「それでも世界は美しいことに変わらない」と思わせてくれる背景美が大好きだった。 その分、そうした要素を薄めたような『君の名は。』は、公開早々仕事終わりにレイトショーにまで観に行ったのに絶句してしまった。そうしたショックで「もうそういう作品時期ではななくなられたのね」と観ないことにしてしまった。 私は「毒」が吸いたいのに、めちゃくちゃに綺麗な空気を吸わされた気がしたのだ。 『魔法にかけられて2』も、配信直後同じように絶句したり、落胆した人の感想を見かけた。 配信して視聴する時間をとるまでの間にそうした感想を目にしてしまって「え、そんなひどいのか…(まあディズニーの”2”やし…)」と思いつつ、 まあそういった感想の詳細は見た後にしよう、と思うくらいにはどこかで期待したまま、それでも一番大嫌いな家事・洗濯物たたみのながら視聴を決行した。 そしたらまあ全ての手は止まり、なんなら試聴していたiMacとは別にMacBookを開いてメモテキストを取り始めてしまった。 私には見事に「いいところ」がクリティカルヒットだった。 一気にテキストに書き上げてから、落胆した感想をあげていた人たちの記事を見に行った。 ここで信じてほしいのが 決して「おうおう、どんな感想やってんワレェ…」という対立の態度を決して抱いていないということ。 私の信条は、決して何かが絶対的に正しいという価値観は

SFのSはサイエンスだって知らなかった

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BNBのピンク色のバーカウンターで、「どんなアニメが好きか、おすすめしたいか」といった話題で話していた時に 「むちゃくちゃSF好きやね」 と言われて打撃を受けた。 私は別にSFが好きだったことはない。と、思っていたから。 父はSFが好きだった。娘をオタクに育てたオタクなので、いろんな映画やアニメを観ているのを一緒に観ていた。 それゆえにか、好きなアニメは?の質問には50代おじさまたちが喜ぶアニメ作品がオールタイムベストと応える。 そして父が何よりも心血注いで教育したのは「ディズニー」で、おかげさまで私の”好き”の基盤は、ディズニーをもとにする”ファンタジー”となった。 なかでも、パラレルワールドのような、襖一枚隔てた向こう側には、その世界が広がっていて、ひょんなきっかけで自分もそこに転がり込めそうな、そういう”描写にリアリティのある”作品を好む。 ただ、それだけだと思っていた。 突如放り込まれた「SFが好きなんだね」で、自分にSFが好きという意識が立ち上がってしまったからか、ちょっとSF作品に意識がたくさん向いてきた。 それに、「おもしろいSF」は自然と手元に流れていた。 手始めに手に取ったのは、柞刈湯葉 著『人間たちの話』。 そう、大好きなPodcastで耳にタコができちゃうくらいに聞いた作家本を買ってみた。 これが面白い。するする読める。 「つ、続きが読みたい…!」と、眠くても電車の中で本を開く。ベッドに入ってまだ開く。 そうして、「よし、あんなにPodcastで良い良いと言われた大作を読もう」と意を決して手にしたのがアンディー・ウィアー 著『ぷロジェクト・ヘイル・メアリー』。 SFが好きな人の間では、2022年最高の一冊だったはず。 この本を、大垣書店で手に取った時、隣に並んでいたのが 『戦闘妖精・雪風<改>[愛蔵版]』 文庫本はまだ捨てずに残ってあるから、そっと棚に戻してしまったけれど、私はSFが好きなんだなと改めて、突きつけられたようだった。 ずっと何の気なしに好きだと思っていた作品群が、立派なSF作品だと知ったのは、多分ジャンルで縛らずに、嗅覚だけでいろんなものを摂取してきたから。 でもちゃんとその嗅覚は働いていて、”スキな”ファンタジーに集約されていく。