見栄をはりたくって、みっともない
本来自分が感じたり、考えたりしたことを
否定される癖がついて、黙り込むようになった。
否定される癖がついて、黙り込むようになった。
同じく、「人様にお見せするにあたって…」「見栄をはりたい」などと思うようになり、
誰も見ないとわかっているブログさえ、黙り込んでしまった。
誰も見ないとわかっているブログさえ、黙り込んでしまった。
mixiがあって、まだSNSって言葉が生まれて間もない頃。
私はネットに自分の言葉を吐露することが大好きで
それこそ迷いもなく、誰も見ていないとわかっていた。
それでこそ、自由に吐露できるのだと思えていた。
なのに、今はどうしてネットにさえ自意識過剰になったんだろう。
大人になっていくにつれ、出会った人が増えるにつれ、
くだらないかっこつけがたくさん必要になった。
出会った人それぞれに合わせて、仮面をかえるものだから、
結局どれが素顔かさえわからなくて、
気がついたら居場所が変わってしまっていて。
そしたら「みんなが見ているかもしれないところで、どの自分でいるべきか」と、
戸惑うようになった。
誰も見ていないし、誰しもが見ている。
仮面の下さえ、綺麗に取り繕って、押し黙ってしまう。
だって「どうせ、まちがってる」から。
私なんてどうせ、と寂しがりがずっと言っている。
声が聞こえたんだから、自分で自分を迎えに行ってやらなきゃいけない。
寂しいに決まってる。
だって手足をもがれたような痛みで、そこにピン留めされてしまったみたいだから。
みっともない自分を迎えにいこう。
そんでもって、開き直ろうと思う。
私はこんなに根暗で、正直幸福な状態を保つなんて芸当は、すごく体力を消耗するんだって。
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