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1月, 2022の投稿を表示しています

まだベンチを温めている

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占星術と、自分の人生の歩み方を観察すると、なるほどたしかに合っている。 いま、私のモードは「振り返り」で、今まで自分が何をしてきたか、何を好んできたか、とどのように生きて、どんな人間を育てたかを振り返っている気分だ。 そんな中で、自分は一体何をしていたか。 一生懸命、立派なセラピストで”在ろう”とした。 「グリーフケアセラピスト養成講座」というものを受けて(今は団体名も変わり、講座名も変わってる)、だれかを癒す側にと必死だった。 だって、私の仲間たちは立派にその役目を果たしていく。 自分のサロンを開いたり、仲間をサピートする役割を得たり。 でも私は、社会的にみても未熟なままで、焦ってばかりで空回っていた。 この間久しぶりに”みんな”の居るところに参加して、話していて、やっと意味がわかった。 みんな年上ばかりだ。親しい人たちなんて大抵10〜20は上で、そうなってくると結婚して子供も自立してたりする。 もちろん、子育て真っ最中の人もいる。 私は必死に、そういう人たちと肩を並べようとしていた。 でも良く考えろ。 10〜20という物理的な年月は、縮められるわけがない。 たとえ、「魂年齢はババア。同い年」と言って一緒にはしゃげても、その肉体が蓄積した経験は縮まらない。 そのことが、私はわかっていなかった。 私だってすごいことができると奢っていた。 でも、師匠は自分と同じ歳の頃、何をしていただろうか。 みんなは、なにをしていた? そう思えば、私がその場にいることは、みんなと肩を並べるためではなくて、 私の未来を見せてもらっているんじゃないかと、思いはじめた。 当然、この神秘的な精神世界が、”良いものだ”という前提があって、こんなことを言うのだけれど。 現実逃避として、言い訳として使われてしまう偽物のスピリチュアルではなくて、 「どう生きるか」に向き合う、本物のシコウの世界。 スピリチュアルは現実を生きるためのものだと、私は信じているから、こんなことを考えている。 だからそれは、男女問わず、年齢問わず当たり前の分野であってほしい。 おそらく、そう思って、今最前線で動く仲間がいる。 私はまだ、その人たちが走っているバトンを、受け取るために 受け取って、まだ先へその先へと走り続けるために、体力をつけたり、走り方を教わったり、走る道について教わる。 時が来たら、受け取ると思う。 そした

あまいわたあめに包まれるような

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頭を離れないことがある。 「あの日の君は、女性として一生で最も美しいと言われる瞬間だったんだと思う。そう確信するような表情とオーラを纏っていた」 婚約したと、恋人の隣で報告をした日のことをそう表現された。 ずっとその時の感覚を、意図的に引き出してみたいと思っていた。 それほど「美しい」と思わせる状態が、意識的にできたら撮影の時に使えるんじゃないかって。 ちなみに、あれを言った人に聞けば「安心しきっている?ように感じられた」と言っていた。 どういう状態を言うんだろうか…。 ある朝夢を見た。 彼と過ごした夢だった。その時の感覚は、たしかに言われたように穏やかで、安心しきった心地だった。 目が覚めた時、思わずもう一度夢の世界に戻りたいと思った。その心地よさに。 それでもベッドを出て、身支度をして、神棚に手を合わせる。 窓から差し込んでくる光がサンキャッチャーを通って、部屋の中に虹がゆれる。この瞬間がすごく好き。 ——と、ここでふと気づいた。 手を合わせて何も考えないで、目を伏せている時間と、 夢の中で思い出した彼といた時の穏やかな心地は、非常に近いのではないかと。 神棚に手を合わせている時、ささやかに祈る。 その時は、神様が実在するものとして話しかけている。そうしている間は、何もしなくていい。 ただそこにいて手を合わせて目を閉じれば、何もしなくても、生産性がなくっても、美しくなくても、そこに存在して良い。 あんまりそれが心地よくって、ずぅっと続けていたくなる。 それと、彼といた時は、似ている。 彼がいるから一生懸命にだれかと喋らなくていい。彼は私が必死にならなくても、傍から消えることはない。 ”愛されている”と絶対的に感じられる瞬間。 それは、神様から”愛されている”と感じるときと、同じだった。 もう少し、もうすこしで手が届く。 きっとこのことは、いつかもっと合理的な説明がつくはず。 私にならきっと、説明をつけられるはず。 Photo by Jonathan Borba on Unsplash

黄色いレンガの道をさがしている

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 昨年からエンジンをかけようにも、行き先がわからないからかけようがないような具合で、くすぶっているような感覚。もしくは、消化不良のような感覚。 ただ、なんとなく12月に入って、大切なプロジェクトがひと段落したところで、ギアがそちらに入らなくなった。 そちら、とは仕事のこと。 ここ2、3年は水を得た魚のように働いていた。 担当したお客様とのコミュニケーションが楽しくて仕方なかった。彼らの思い描いた世界を、現実に構築することで、彼らがこの上ない笑顔を見せてくれる。 ひと時だけの関係だけれど、それ故にいい思い出だけにしてくれる。お礼にともらった手紙やプレゼントは、目にするたびに名前こそ一瞬思い出せなくても、顔は瞬時に浮かぶ。 自分の結婚がダメになったときも、2日後にはお客様の結婚式に大喜びしていた。 感染症禍で物理的な勢いが落ちても、ハートの勢いは変わらなかった。 なのに。ふと、走り続けていた足が、歩みに変わった。 もともと、自分自身のことを一般平均よりも比較的弱いと感じている。 フィジカルもメンタルも燃費が悪い。回復が遅い。 自分なりにそのことをコントロールして、それらが言い訳にならないようにしてきた。 仕事というものには当然、社会的な責任があって、一緒に働く人にも故意に迷惑をかけたくないし、むしろプラスに働きかけたい。 そうなってくると、このコントロールはプライベートを調整して行われる。 そのことについて、疲れが出ていると気がついてしまった。 この職業は正直、”職種”として自己犠牲が自然な世界だと思う。比較的、強く。 これは自分だけが、ということではなくて”みんなそう”ということ。 世間はみんなそうだというけれど、それで保つ人と保たない人がある。 私はほんの少し、このままでは保たせられないと感じ始めたんだと思う。 だから少しずつ、走り方を変えてみる。 そのかわり、調整して向けていなかった方向に意識していく。 今年はもう少し、「仕事」以外のところにシフトしていく。その方がいいみたいだ。 そういえば、2022年という暦こそ変わったけれども、旧暦の新年まではまだ少しある。 占星術を学ぶ身として欠かせられない「宇宙元旦」——春分(12星座のはじめの星座に太陽が移る時)も、まだだ。 きっとそこまでに、新しくシフトしたい行き先への道に見当がつくのかもしれない。 2月は、サターンリ

2022年 開運の鍵は「星の自覚をもつこと」

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 あけましておめでとうございます。 傷心して都を離れてからというもの、こちらではお正月気分はあまりなく、まだ心は喪に服しているかのよう(といいつつ、カウントダウンは大騒ぎして満喫する)。 そんな引き続き静かな田舎でお正月を過ごすなかで、今年は 占い雑誌『myカレンダー』 さんのオリジナルスプレッド企画 「行く年来る年スプレッド」 を、引いてみました。 インスタでアップしたのですが、そもそもSNSの中でも文章を読むには向かないので、十分長文なリーディングを改めてこちらでしたためておこうと思います。 このスプレッド、シンプルだからこそとてもわかりやすい…! 要するに、2022年に手放して、それによってできた余白に入り込んでくれる——迎え入れることのできるエネルギーを、2枚のカードで読み取ってみよう!ということ。 「手放し」は本当に難しいことのように思われますが、できた瞬間には「なーんだこんなものか」、と拍子抜けするほど単純かつパワフルなこと。 だからこそ、とっても難しいことでもあるのですが。 いわゆる開運には必須の技術でしょう。 さて、今回いつか押し付けられた「Aura-soma Tarot 2005」と、キラキラデザインに心奪われた作家さんの「lucinetarot(twilight)」の2デッキで、私が愛する、私の周辺で出逢い・関わってくださる人々の目線、そして自分自身の目線の2つで引いてみました。 まずは愛するあなたへ。 左が「手放す力」、右がそうして「迎える力」。 手放す力は「星」のカード。迎える力は「ワンドのクイーン」のカード。 「星」は追うものでなく、成るもの。 あなたは星を追うことをやめて、星として振る舞う時。 星はまさに「スター」の象徴つまり理想像ですね。その言葉の通り、ステージの上で輝く「スター」。 昭和から平成にかけて存在したトップスターのような存在ですが、この場合もうすこし身近な、尊敬する人、理想とする人、のようなものをさします。 こんな人になりたい。こんなふう(理想)でありたい。 この人に認められたい。この人と肩を並べたい。 そういう目標があることと、それに向けて歩みを続けられることは素晴らしいことです。 ですがそれらに固執してもいけないと、わかっているはずです。 一生懸命追いかけていても、こんなに努力しているのに、報われない…。 そう傷ついてし