ソレは、本当のその人なのか

絶縁となった友人がいる。

ある日彼女とのやりとりの最中に、LINEをブロックされてしまった。

私が一緒にいたグループラインから退室して、ブロックされて、謝っても聞き入れてさえもらえなくなったのだと、思い知った。

原因は私にあった。

私は相手に対して「失礼」だったのだ。


彼女は限界だったんだと思う。長い友人だったから、きっと無自覚な「失礼さ」は、他にもあったはずだから。

周囲は「…そうだったとしても、切るほどじゃないだろう」「そこまで過剰になることじゃないだろう」「意外ともう気にしていないのでは?」と言ってくれたけれど、私は自分が彼女に対して我慢ならない経験をさせたんだと、それほどの蓄積をしたんだと、自分を責めるしかなかった。


謝りたいと願いながらも、他にも連絡の取りようがあっても、決してできなかった。

彼女にもし謝罪をきいてもらえたとして、許してほしいだとか口が裂けても言えないと思った。

それほど大切な友人だったから。それほど、大切な友人だったのに自分がぶち壊した。


彼女のやり方を、少々乱暴ではないかと庇ってくれた人もいた。

でもそれは、私が引き出してしまった一面なのだ。

ただひとつの、一面にすぎないのだ。

私は、本来の彼女がどんな人か知っている。

優しくて正義感に熱く、真面目な人。


だから、そんな一面を引き出した私が、わるい。



対人関係において、そこにはAさんとBさん二人だけだとしても、実際には「Bさんの思うAさん」と「Aさんの思うBさん」、4つの人格が存在する。

実際のAさんがどうであれ、BさんにとってAさんはそれとは異なることだって、ザラにある。

誰かにとっては、酷い最低の人間でも、他の誰かにとっては、優しい素晴らしい人間なのだ。


Bさんの思うAさんは、意地悪ばかり言ってくる嫌な人かもしれない。

でもAさんは、Bさんのことが大好きで、Aさんが危険なときに他へ注意を反らしてくれるだけなのかもしれない。

「どう見えているのか」は、自分だけのものだから、たとえAさんが事実親切にしているつもりでも、BさんにみえるAさんは意地悪な人のままなのだ。

”意地悪なAさん”とは、Bさんだけのものだから、Aさん本人も他の人も、誰にも変えてあげることはできない。


Aさんの助言が、意地悪に聞こえるのはもしかすると、Bさんが素直に人の話を聞くことが難しいキャラクターなのかもしれない。

Bさんがプライドが高い人だったら、間違いを指摘して恥をかかせてはいけないと、直接的には言わずAさんは自身が悪者になるよう手を回す。それだけなのかもしれない。

Aさんにそうさせるのは、Bさんなのだ。

Bさんが居なければ、”意地悪なAさん”は存在しないのだ。



だから、大切な友人であった彼女とのことは、私がそうさせてしまっただけに過ぎない。

そうせざるを得ないことを、したんだ。


ずっとそのことが心残りだった。

思い返すたびに、古傷がジクジクして、痛みとともに反省する。そして今も誰かにそうしていやしないかと、省みる。




そんな風に考えているからかどうもそれ以来、どんな人でも、知り合ってから大嫌いになることはない。


「あの人、こういうことする人なんだよ」

と悪評を聞かされても自分との間に実害がない限り、ウワサのその人との距離感は変わらなかったりする。

ちなみに、人の悪口をわざわざ聞かせてきた人のことについては、「言いたいくらい嫌だったんだろうな」と思うので、その点も別になんとも思わない。

それこそ、悪い人が存在するとしたら「Bさんの思うAさん」であって、Aさんではないのだから。


私は一度相手に抱いた好感度は、下がらない。

無限に続く加算制なのだ。

「こんな酷いことされたんだよ!信じられない!」

そう聞かされても、私とその人の間にはまだ何も生じていない。

”私の思うその人”は、酷い人ではないままなのだ。



「エリちゃんに、宝珠をわけわけしようと思ってたんだけど、それだね!!持ってたね!!」

不思議友達のかおちゃんが、ランチの席でそう言ってくれた。

「そのお友達に決別されたことは、大きなギフトだったんだ!!すごいね!」と。

(彼女は先日伏見稲荷で預かった”宝珠”をもって、その人のもつべき”宝珠”やもっている”宝珠”を気づかせたり、分けてくれたりするようです
霊界からの預かり物②みんなのために使うもの!|アメブロ:KAORU World


私の大切な人は、みんな去り際に私へ大きなギフトを置いていく。

その時は原石でただの石ころにみえたり、あまりの衝撃に私が置いていかれた箱に気づけないことがあるけれど、ちゃんと磨けば、気がついて蓋を開けたら、それは希少な宝石なのだ。



彼女との出来事があったから、私は「このエピソードひとつ、それは相手の要素の内何%を占めるのだろう」と考える。

”酷いこと”をする人も、その人の何%が”酷い人要素”なんだろう。


私たちは氷山の一角しか見ることができない。

毎日会っていても、同じ条件の下ではどんなに時間を費やしても同じ面しか見えない。

氷山をどうにかしてひっくりかえす?

それとも、ドライスーツを着て、潜って見にいく?


それとも、相手が説明してくれる時を、待つ?

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