憧れのやさしい伝え方

人に向けている感覚で「好き」と感じるものの程度が、強くなると「推し」になる。
本当は恋愛で強烈に片思いしている時と、感覚は近いんだけれど、理性がちゃんと働いているから「推し」という。
「推し」はだいぶ最近の言葉だから、「憧れ」というほうがわかりやすいかもしれない。

で。「推し」ているお医者さんがいらっしゃる。
Twitterではお馴染みの病理医のヤンデル先生。


私は、どうしたら伝わるだろうと考えた時に言葉が多くなる。
注釈が多くなるのだ。

前提はこれで、こうで…ああ、そうそう。この言葉はこういうニュアンスで…。

誰かとけんかにならないように。

偉そうにって誤解されぬようにしないと。

"伝える"ことは、伝わらない恐怖の経験が多くて、結構慎重になる。


ヤンデル先生は、どうやったら、誤解なく、だれかを無意識に傷つけず、伝えられるだろう。

そういうことを、何年も何年も考えてきていた人なんだと思う。

医療にまったく知識を持たない私にも読める、身体のことや、エッセイ。
いろいろ、書いているけれどもどれも、どの言葉もユーモラスで、たのしくて、まあるい。
この人の考え方、伝え方を本当に尊敬している。

つくづく、憧れちゃうなあと思ったのは、新型コロナウイルスへのワクチン接種について、不安だと思う人からの相談になんと答えるか?という話題で
『不安だから打ちたくない』って言われたときの最善解は、『不安なんですね〜』しかないですよ

と答えていらした時。
ぜひ記事をみてみてほしい。
ヤンデル先生はどうやったらどう伝わるか、考えている。

私は先生の意見にオール賛成にはなれない。
西洋医学・現代医学と言われるものに、わりと否定的な世界に立っているから。

でも、先生のお話は聴きたくなるから、ちゃんと聴く。


先生のお話は、言い聞かせようとしていない気がするから。
言いくるめて、言い聞かせて、ってしない気がするから。
ぼくたちの考えは、こうなんです。と、ただ伝えている。
たんたんと、感情はなくて、でも熱意がある本物の真摯さが伝わるから。

だから、それらに否定的な世界にいても、それらのことを理解したいと思えるようになった。
先生のお話は、おもしろくて、たのしくて、なによりやさしい。
私の大事にしている世界を否定されない。


科学で説明できない世界に立っていると、烈火のごとく怒ってくる人がいる。
どうして喧嘩になるんだろう。どうしてそんなに怒られるんだろう。
わかっている、言いたいことは。だけど、喧嘩腰じゃなくていいじゃないか。
どうしてそんなに怖い顔をするの。
どうして叩くの。こわい。

そうじゃない人がいると知って、ヒーローだと思った。
だから、かっこいいあこがれのヒーローをフォローしている。
それが「推し」。






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