まだベンチを温めている

占星術と、自分の人生の歩み方を観察すると、なるほどたしかに合っている。

いま、私のモードは「振り返り」で、今まで自分が何をしてきたか、何を好んできたか、とどのように生きて、どんな人間を育てたかを振り返っている気分だ。
そんな中で、自分は一体何をしていたか。

一生懸命、立派なセラピストで”在ろう”とした。
「グリーフケアセラピスト養成講座」というものを受けて(今は団体名も変わり、講座名も変わってる)、だれかを癒す側にと必死だった。
だって、私の仲間たちは立派にその役目を果たしていく。
自分のサロンを開いたり、仲間をサピートする役割を得たり。
でも私は、社会的にみても未熟なままで、焦ってばかりで空回っていた。

この間久しぶりに”みんな”の居るところに参加して、話していて、やっと意味がわかった。
みんな年上ばかりだ。親しい人たちなんて大抵10〜20は上で、そうなってくると結婚して子供も自立してたりする。
もちろん、子育て真っ最中の人もいる。
私は必死に、そういう人たちと肩を並べようとしていた。

でも良く考えろ。
10〜20という物理的な年月は、縮められるわけがない。
たとえ、「魂年齢はババア。同い年」と言って一緒にはしゃげても、その肉体が蓄積した経験は縮まらない。
そのことが、私はわかっていなかった。

私だってすごいことができると奢っていた。
でも、師匠は自分と同じ歳の頃、何をしていただろうか。
みんなは、なにをしていた?

そう思えば、私がその場にいることは、みんなと肩を並べるためではなくて、
私の未来を見せてもらっているんじゃないかと、思いはじめた。

当然、この神秘的な精神世界が、”良いものだ”という前提があって、こんなことを言うのだけれど。

現実逃避として、言い訳として使われてしまう偽物のスピリチュアルではなくて、
「どう生きるか」に向き合う、本物のシコウの世界。
スピリチュアルは現実を生きるためのものだと、私は信じているから、こんなことを考えている。
だからそれは、男女問わず、年齢問わず当たり前の分野であってほしい。

おそらく、そう思って、今最前線で動く仲間がいる。
私はまだ、その人たちが走っているバトンを、受け取るために
受け取って、まだ先へその先へと走り続けるために、体力をつけたり、走り方を教わったり、走る道について教わる。
時が来たら、受け取ると思う。
そしたら、全力で走って、みんなが築いた世界をまた構築し続ける。永遠に途絶えることのないバトン。
そうだったらいいなぁ。


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