あまいわたあめに包まれるような

頭を離れないことがある。

「あの日の君は、女性として一生で最も美しいと言われる瞬間だったんだと思う。そう確信するような表情とオーラを纏っていた」

婚約したと、恋人の隣で報告をした日のことをそう表現された。


ずっとその時の感覚を、意図的に引き出してみたいと思っていた。

それほど「美しい」と思わせる状態が、意識的にできたら撮影の時に使えるんじゃないかって。

ちなみに、あれを言った人に聞けば「安心しきっている?ように感じられた」と言っていた。

どういう状態を言うんだろうか…。



ある朝夢を見た。

彼と過ごした夢だった。その時の感覚は、たしかに言われたように穏やかで、安心しきった心地だった。

目が覚めた時、思わずもう一度夢の世界に戻りたいと思った。その心地よさに。


それでもベッドを出て、身支度をして、神棚に手を合わせる。

窓から差し込んでくる光がサンキャッチャーを通って、部屋の中に虹がゆれる。この瞬間がすごく好き。


——と、ここでふと気づいた。

手を合わせて何も考えないで、目を伏せている時間と、

夢の中で思い出した彼といた時の穏やかな心地は、非常に近いのではないかと。


神棚に手を合わせている時、ささやかに祈る。

その時は、神様が実在するものとして話しかけている。そうしている間は、何もしなくていい。

ただそこにいて手を合わせて目を閉じれば、何もしなくても、生産性がなくっても、美しくなくても、そこに存在して良い。

あんまりそれが心地よくって、ずぅっと続けていたくなる。


それと、彼といた時は、似ている。

彼がいるから一生懸命にだれかと喋らなくていい。彼は私が必死にならなくても、傍から消えることはない。

”愛されている”と絶対的に感じられる瞬間。


それは、神様から”愛されている”と感じるときと、同じだった。


もう少し、もうすこしで手が届く。

きっとこのことは、いつかもっと合理的な説明がつくはず。

私にならきっと、説明をつけられるはず。



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