ファッションとの距離感


最近知り合ったばかりで、はじめて顔突き合わせて話をした日に

「服が好きなんですね!」

と言われて、生まれて初めてそんなことを言われたなぁと。


私は”服が好きな人”ではない…そのタイトルは違和感があるなあ…。

むしろあなたの恋人に「お前の昔のファッションマジ不安やった」と言わしめた過去があるんだけどなぁ…

何が起きたんだろう


もともとは、自分で選んだ服を買うことができなかった。

洋服屋さんを除いても、欲しいと思う服はない。

いいな、と思ってもそこについている値札をみて、そこまでは出さないなぁと引っ込める。

かといってファストファッションは思うようなものがなくて、結局何年も同じものを着続けている。


今も「この靴よく考えたら中学生から履いてないか」というものもある。

けれどここ数年で購入した洋服も、ファッション小物も急に増えた。

買えるようになった。


お金を使う優先順位が異なる件はともかく、自分で選んだ服を購入すること、身に付けることに途轍もない抵抗があった。

これを買って着たら、なんて言われるだろう…。

「そんな安物着て」「なにそれ変」「胴長が余計目立つで」「露出が多い、やらしい」

下着の色一つ、好きな色を身につけていたら

「なにそれ、いやらしい」

下着さえ、レースも何もないシームレスなデザインかつベージュの下着しか選べなかった。


見つかったら何言われるかわからない。


だから彼女が「これいいやん、似合うし買えば?」と言った服しか買わない。

「そんなん買わんでいい。私が持ってる」

と言われたら買ってはいけない。着ることは永遠にない。

「あんたこれ、着るやろ」

と渡された彼女チョイスの服と、彼女の若い頃(細くてグラマラスで私なんかよりずっと美しくてモテた頃)のお下がりが増えていく。


出かけることになった時は、たくさん服があるのに「着たい服」はなくて、イライラする。

ツアーに行く時は「ツアーはこういう格好をするもの!!」と彼女の定めたドレスコード。

こうして思い返せば、私のファッションは彼女のドレスコードに定められていた。

だから、人からどう思われているかが徹底的に嫌で、そういった現実世界と引き離して”目に見えない部分”をみて接してくれる人たちとしか、関われなかった。


彼女との物理的な距離が生まれると、彼女という存在から解放されたようだった。

もう出くわすこともないから、好きな服を買おう。好きなバッグを買おう。好きなメイクをしよう。

他の人にどう思われるかは…まだ怖いけれど、彼女に何か言われるより怖いことってないだろう。

そうして気がついたら割と服にもお金を出すようになった。

別に収入は変わっていないけれど「出すのもアリ」と感じるようになった。自分が嬉しくなることだから。

だから別に、相変わらず自分のファッション哲学があるわけではない。


ファッション大好きなかつての恋人に、どう選んだら正解なの?と聞いた時「ファッションに正解はないし、好きなものを好きに着るの」と言われた。

当時は面倒臭いんだろうな…と投げやりに答えられたことにフォーカスしていたけれど、そうではなくて、本当にそういうことなんだろう。

ただ、ファッションのことに注目したから今の着地点を得られたわけではなくて、

自分の生きたい世界がどんな世界なのか

その世界に生きる人たちはどんな服装をするだろうか

それに寄せられるアイテムの組み合わせはあるだろうか


キャラクター設定ができて、キャラクターデザインが仕上がった。それだけなんだと思う。

だから、私にはファッション哲学はわからないし、ファッションの知識はティム・ガンの著作からしか得ていない。

服が好きなのではないのですが、否定するのもちょっと違う…これは一体なんだろう。

自分に何が起こったんだろうと思ったのです。


Photo by Alyssa Strohmann on Unsplash

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