会うこと、関わること。


友達が少ないなぁと感じる要因として、もともと人に会うスケジュールがコンスタントにあるタイプではなかったことがある。

「Stay home」と言われても、さほど苦痛ではなかったくらいには。


と、思っていたのだけれど「スケジュール(予定)」していないだけで、思いつきで人に会うことが多かっただけらしく、あれ以来どうやって人と会う機会を持つのかわからなくなって、ひきこもりっぷりに拍車がかかってしまった。

「自分で誘う」ということはすごく苦手で、迷惑だったらどうしよう、断るにしても気を使わせたらどうしよう、という素晴らしいネガティヴっぷりが発揮される。

ただ、誘われるとフットワークが軽く、夜電話がかかってきて「今みんな集まってるから、飲みに来いよ」とか言われるとお風呂上がりでも遊びに出かけていた。


当然Stay Home以降そういった機会が無くなって、いまではすっかり必要最低限の人と関わることを選択していく時期に入ったようにさえ感じる。

これはきっと、多くの人が感じているんじゃないだろうか。

ある”くくり”の友人と会う時は、なんとなく会話をどうしたらいいのかわからなくて、困る。

誘ってくれるし、楽しい瞬間もあるのだけれど、トピックスがコロコロ全く違うものへと変わっていく会話が苦手なのだ。

連想ゲームのように、「〜〜といえばね」とトピックスが変わったり、「その〜〜っていうのってさ…」とつづくような会話が好きなのだ。

いわゆる居酒屋トークが好き。

最初はなんの話をしていたんだろうと思うような。


これは本当にただの好みで、人それぞれなのでふわっと触るような話題を喜ぶタイプの人も当然いるから、その人たちとの会話では多分私の発言は嫌がられる。

元婚約者がこのタイプの人で「なんで自分の話をそんなにしたがるの?」とよく言われたものだった。

自分の話をしているのではなくて、自分の考えを話して、次は相手の考えが聞きたかったんだけれど、相手はもうその話題は掘らなくていいと思っているから、そうは見えていないようだった。

この好みの違いに気がつけず、ずいぶん長いこと互いに嫌な思いをしたままだったと思う。

これは別に友人でも家族間でも起こることで、いろんな話題で会話するタイプと深める会話をするタイプとがすれ違うと、その場の多数派に「コミュ障」扱いされてしまうんだろう。

それに深める会話をする場合、自分のなかの深い部分に触れることも少なくないので、なんとなく抵抗を覚える人もいるのだろう。

そしてそもそも触れようにも、考えたことがなければ意見は浮かばないし、次の発言のために思案して、黙ってしまう時間を許される間柄でなければ難しいときもある。

まあそもそもさ、そんなパターンが二つあるなんて、考えたことなんてないんだろうけど。

たぶん、夜中に電話をしてきて飲み屋に誘ってくれた人たちは、その時の話題において「それならこいつ呼ぼうぜ」と思い出してくれていたんだろう。

だれかのトピックスの中で、深める上で、あいつの意見聞こうぜ、的な。

だから到着すると「〜〜の話してたんだけどさ!」ともう速攻で本題だったりした。

今はもう、呼ばれたとて、歩いて繁華街から家に帰れる距離ではなくなってしまったけれど、明け方までしゃべり続けて喉を潰した頃が、ちょっと恋しい。

Photo by Michael Discenza on Unsplash

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