トロフィーウーマン
「トロフィーウーマン」という概念が今も残っていたら、相当叩かれるはず。
ウィキペディアによれば正しくは「トロフィーワイフ」という言葉らしいけれど、私が教わった言葉の意味はそのままなので、まぁ「トロフィー」として女性を扱う、現代では総スカンどころか社会問題にされそうな言葉。
20を過ぎた頃、歌の師匠がいて私は彼女のお気に入りだった。
鞄持ちみたいなもので、営業について行かせてもらったりして、いずれ引き継がせるからと教わっていた。
プライベートも割と一緒に過ごしていたと思う。
私も先生に可愛がられているのがうれしかったし、楽しかった。
それをみた叔母にこう言われた
「トロフィーウーマンやな。まぁあんたは最適なんやろ」
その言葉の意味をその時に知ったけれど、その時はあまり気にしていなかった。
実力の伴わない「お気に入り」でしかないと、揶揄された自覚も無かったし
お気に入りでい続けることに必死で、後にその「お気に入り」から外れた頃の辛さの方が勝っていたから。
先日うっかり顔に引っかき傷を作ってしまった。
今まで肌荒れはあれども、顔に怪我をしたことは無く、軽傷とかどうとかよりも「顔に傷がいった」ことにあんまりショックでその場で泣き出してしまった。
なんとなく、容姿に対して妙な執着を持っているとは自覚していたけれど、顔の傷ひとつで泣き出すほどだとは思わなかった。
なぜその感情が湧き上がるのかなどをひとりで粛々と掘り下げて出てきたのが、その叔母から言われた
トロフィーウーマンには最適
——他に何も価値を持てない
という言葉。
実際に言われた言葉に、本人がそう思っていなくても、言われた方は別の解釈をつけていることがあって、私は
「顔や容姿以外価値を持たない」
と言われたように感じたらしかった。
「そんな事ない」と、頭では知っているしその根拠も挙げられる。
でもこころは頑なにその言葉を手放さない。
「トロフィーウーマンってなんやろって調べたら、思ってた100倍酷い言葉やった」
と驚かれた。
現代を生きる人にとって、そのくらい耳にしないしあってはならない言葉。
でも私はずっとそうあらねばとして来た。してきた時間が惜しいのかもしれないし、それ以外に絶対的な自信が持てないのかもしれない。みんな無条件に、顔なら褒めてくれるから。
だから、手放さないのかな。
もうしんどくなるし、そうじゃないの知ってるよね。
こころにはそう言い聞かせて、それからお医者さんにいって傷跡が残らないようお薬をもらって帰ってきた。
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