やらせてほしいこと
ずっと、「お役目」が知りたかった。
魂は目的を持って、この地に訪れ、肉体を得ると聞かされて育ったから。
でも、それを聞こうとすると、これまでどんなヒーラーやサイキッカーも具体的なことは濁して、「なんでもやれるよ」「好きなことができるよ」と言う。
最近やっと、そう言うならそうしよう。と何にも考えないで、それで富や名声がえられることがなくっても、好きなことを好きな程度にやろうとこころに決めて、自由に振る舞っていた。
自由に。人の目も憚らずに。ときにいっちょかみ、ときにディープに、好きな程度に。生産性がないことも。
最近はそれが、人をたすけるドクターたちだったり、医療のことだったり占星術、ハーブ、ひとをを癒すもの。
八坂神社につくと、東の立派な門をくぐりはじめに目に入るのが「疫神社」。
蘇民将来命様が祀られるお社で、「人のこころに現れる、不安や恐怖を祓うおしごとだよ」。
それが、やってほしいことだと、言われた。
それは、決して何か資格を得て人に直接触れることではないかもしれない。
それは、決して立派な社会の役に立つことには、ならないかもしれない。
それは、決して私の功績だとはならないことかもしれない。
それは、決して私が、社会で富や名声を得るものではない。
それでも、それは私の「すきなこと」。
1月17日に、師であり、魂の育ての親のひとりである人が、
…貢献、使命、天命と、私たちの魂の目的が変わっていく仕組みがあると、言っていた。
順番に、さまざまな要素が集約されていって、最終的に固まって、一つのものになるのだと。
いまのこれが、使命や天命まで言えるかどうかはわからない。
でも、「すきなこと」が集約されたそのお役目は、たしかに私のやりたいこと。
それやりたい、やらせてください。
そう言えたから、今、とっても、ワクワクしている。
Thanks to Korney Violin @reka for making this photo available freely on Unsplash 🎁
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