きっと夢を見たんだと思う
仕事が多忙な時期に入って、休みが少し減って、この貴重な休みはスケジュールを一切入れないで、回復に使おうと思っていたのですよ。
本当に、秋はへとへとにな上、休みが返上されてしまうから…。
それでも、嬉しい人と会えるとなれば、よろこんで出かけてしまう。
そうして次の日には、きっとあれは夢だったんだと思うことにする。
シンデレラは魔法が解けてしまった草陰の中で、舞踏会のことを思い返しながら
「とても素晴らしかったわ。——でもいいの、もうおしまい」
「素敵な夢だったわ、本当にありがとう」
残ったガラスの靴を抱きしめて、惜しみながらも、もっとああすればよかったとか、王子様に会いたかったのに(この時彼女は踊った相手が王子だと知らない)と後悔することにはフォーカスしない。
”嬉しいおもい”をしても、満足いかないことがある。
でももっとこうだったら良かったのにって、
切なくなったり、くるしくなったり。
でももう、そういう苦しみは徐々に感じずに済むようになった。
「諦めた」とも思われるかもしれない。
どうしたって、無意識にでも”期待”して、”想定”していたから苦しむことになるんだ。
〜だから、こうなってほしい。
どうして、〜ならないの。
そんなふうに考えるのは一切やめてしまえばいい。
夢は夢のままにしておけば、いい。
幸せだ、きっとこれは夢なんだって。
それはでも、決して自暴自棄ではないのだ。
夢の世界で生きている人にとって、夢は現実なのだから。
きっとこの夢のような幸福感を、覚えていれば、明日も私はその幸福の中に逃げることができる。
いつ何時も、幸せでいつづけられる。
硬い甲羅で護らなければいけない内側に、自分の”夢”をいっぱい詰め込んで、海の奥底に沈んでいく。
いつか、奥底でひっくり返って水面に出られたら、
そのときはきっと、私の内側にあるものが表になる世界なのだから。
Photo by Alice Alinari on Unsplash
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