「生き場」を失くさないために
もうすぐ、スピリチュアルの世界にどっぷり入って10年。
大きなきっかけになったのは、人生で初めてできた恋人に捨てられて、もう自分が存在できる世界が—土壌が失くなってしまったのだと悲嘆にくれた頃に、心配した家族がセッションを勧めた…簡単に言えばそこから始まった。
今は、人のことにまで手を貸せるようになった。
私のように、「たかだか恋愛」で自分の生命に危険が及ぶ人がいる。
私たちはたかだか恋愛と言われ、笑われ、余計に傷つくことを察知して誰にもその姿を理解してもらえないのだと、より一層に絶望を増す。
でも本当に、私たちにとっては、愛する人との別れが、今生の別れなんて比喩では足りないほどに、生きることのできる全てが奪われてしまうような気になるのだ。
「生き場」を失うことになって、死しか考えられず。
どこで生きれば良いのか、どこなら生きて良いのかわからなくなる。
そうなってしまった時にどうすればいいのか
そうなってしまうことを、繰り返さないためにどうすればいいのか
今の私なら、”自分がそうしてもらったように”、幸せに向けて導くことができるのかもしれない。
恋愛をすると相手を「生き場」にしてしまうんだと思う。
だから、恋人を持つとその人が全てで、失えばそれはすなわち「死」になる。
でも今の私は—恋人を持たない私には、何が生き場になっているのか…
混じりっけなしの、誰の意見も含まない、私だけが導いた選択。
ソレがあったのは、かつてパートナーになろうとした人に対してだけだった。
彼とのことについてだけは、誰の意見にも耳を貸さず
それこそ、偉大なるヒーラーたちの言葉にさえも、当時私の絶対的存在であった叔母の言葉にさえも、耳を貸さなかった。
私が、ひとりで、決心したことだった。
「他の人があなたに用意されているって、理解している?」
—2018年メアリー・モーニングスター氏とのセッションにて
それほどに、心血を注いだ”関係”だった。
とはいえ現実には、その関係は残らなかったけれど、それは真実ではない。
でも、それほどに心血を注いだというのは、それが私の「生き場」だったからだ。
それを失ったいま、「今の私の生き場」はなんなのだろうか。
自分で築き上げた—埋め立てた土壌というものを持っているんだろうか。
ずっと、表に出しきれず、それでも手放さなかったことがある。
「ヒーラーである」ということ。
その自負を、持ち続けた。
もっとリアルに描写するならば、そうで在ることにしがみつき続けてきた。
「不特定の人を相手にするヒーラーではないみたいだね」
師に言われたこの言葉に、当時は師のような立派なヒーラーにはなれないと言われた気がして、絶望した。
けれど一方で、私は特定の人に対しては、ヒーラーで在ろうと—在ってやろうと逆信念を抱いたのかもしれない。
全く私の仕事にはケアも、セラピーも必要とされていない。だけれど必要とする瞬間が垣間見えることがある。
そんな時は、絶対にヒーラーで在ろうとし続けた。
ケアになるように、セラピーになるように、仕事をした。
そうやって続けた仕事も、今ではすっかり古株だ…。
そうやってきた仕事が評価されてきている。
そう考えたなら、私はずっとヒーラーであり続けてきた。
これを、私が長い時間かけて築き上げた、決して手放すことのなかった土壌と言わずして、なんという。
混じりっけなしの、誰の意見も含まない、私だけが導いた選択。
誰にもこのことは話すことはなかった。話すつもりも—自分がそうしているつもりもなかった。
だからこそ。私の中でだけ燃え続けていた、私の中にあるものだけで燃え続けていたもの。
振り返れば、立派な土壌を築いていた。
自分で「生き場」を築いていた。
私が、あの絶望していた日々の中で、師がそうしてくれたように—
—一番辛かった日に、欲しかった存在になる—
師であり、恩人である彼女とはお誕生日が同じ
自分で築き上げたもの
それが生き場になる。
それを阻むのも、きっと自分自身の中にある。
人がひとりひとり、それぞれに自分の生き場を作れるように、
私のすべきことは、もう決まっている。
Photo by Anastasia Sklyar on Unsplash
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