結婚の儀式を遂行する司祭
お勉強中の占星術には「サビアンシンボル」というものがある。
私個人のホロスコープで、象徴的なサビアンシンボルのタイトルが「結婚の儀式を遂行する司祭」。
まさに自身の職業にダイレクトに関連する。
街でスカウトされて、事務所に入って最初の仕事はたいていブライダルフェアのモデルだ。
そこから今の仕事に流れ就いた。
誓いの場を、ハレの日を創り上げ、のこしておく。
いつも、仕事楽しそうですよね
と周囲に言ってもらえるのは、新郎新婦からいただいたお手紙やプレゼントを嬉々として報告するから。
私たちはウェディングプランナーではないため、新郎新婦から懇意にしてもらえることは少ない。本来は。
この仕事を始めた頃は、次から次へとベルトコンベアのように打ち合わせをしていた。
結婚式のBGMをただ、たんたんと「何が使いたいですか」「どの部分で使いますか」ときくだけ。
なんなら、新郎新婦が書いてきた用紙から、自分たちの作業しやすい用紙に書き写すだけ。
それでも、そのなかでもごくたまに音楽の趣味や、そのほかの話題で盛り上がる。
こだわりたい人は、たくさん要望を言ってくれる。
それを叶えるためにこちらの譲れない部分とうまくバランスを取れるように、導いていく。
「話わかるなぁー!」
「そうなんですよ!!」
思わず大きな声でそう言ってくださった人たちの笑顔が、今も忘れられないし、誇らしい思い出。
そうして時々、挙式の後に「メッセージ預かってます」「お菓子預かってます」と何かプレゼントをのこしていただいたり、「一緒に決めてもらったあの曲のこのシーン、最高でした!」とメールで写真を送ってくださったり。
すごく、すごく稀にそうした贈り物をいただいた。
たった一回。顔を覚えていないかもしれない。けれども、そのたった1時間を覚えていてくれて、同じ気持ちにしてくれるた。
その希少な贈り物が、心の支えだったけれど、終わりが永遠に見えないベルトコンベアは、十分に心を蝕む。
どんどん余裕もなくて、心はぎすぎすしっぱなしで、人に優しくできないようになっていった。
耐えかねて、総合演出の世界にやってきた。
そこはベルトコンベアの前にある椅子からは、いつもキラキラと光がみえていて、憧れた場所だった。
音楽だけではなくて、もっとたくさん、もっとぜんぶ。
量産ラインから、アトリエメイドの世界へ。
責任というストレスは以前より増したけれど、何よりも背負いたいと思わせる「ステージ」だったし、
その分だけ、新郎新婦に好意を向けてもらえることが格段に増えた。
私の作ったソレは、本当に世界にひとつだけなのだと、思わせてくれた。
だから、余計に手元に残る贈り物の重みが増していった。
なによりも、再会したときに名前を呼んでくれるだけで、泣いてしまいそうだった。
それでも、ちょっとモチベーションが下がっている。
婚礼の世界は、突如猛威をふるい始めた新型感染症のおかげで、例に漏れず苦しい。
今までのやり方では通用しない。
たぶん、目に見えるものだけではなくて、いろんなものを変えてしまった。
べつにこれは、決して悪いことではないのだ。
「プロポーズされたら…」
あのキャッチフレーズを生んだコピーライターは誰なんだろう。
言い得て妙とはこのことだ。日本のカップルのほとんどはこの手の雑誌をまず手に取る。
結婚するとなったら、自動的に「式場を決めて、挙式をして、人を40〜60人(時には数百人)は呼んで披露パーティーをする」という流れに乗る。
この「式場(披露宴会場)を決める」という思考停止の波を、新型感染症はその波で打ち消した。
扉が開いた瞬間、その場に来ていた親しい人、大切な人たちの視線が注がれて、スポットライトを文字通り浴びる。
たくさんの笑顔とおめでとうの声。そして声が枯れるくらい笑ってありがとうを伝える。
それが、その人の人生において、どれほど大切かということを、私たちは同じ重さで受け止める。
多くの人にとって—とくに典型的な女性性の強いタイプの人物にとって「当然」だった、その人生で一番大きな愛する人と企画するプロジェクトは「やるべきではない」という波にさらわれていった。
それでもこの”プロジェクト”は、タイミングも肝心だ。
自分たちにとっては、門出の儀式なのだから。
その時、でなければ意味がなかった。
だから、本当に儀式だけにする人、略式にする人、儀式は不要だからと何もしない人が半数以上になっていったのだ。
いまとなっては、違う形の波も訪れる。
「なんて言われるか」「なんて思われるか」
無理してするものなのか…?
大切なことは、本質は、なんだろう?
そう思考させる波が。
あのとげとげのついた絵の感染症は、
みんなにかかった「あのキャッチコピーの魔法」をすっかり解いてしまった。
これは本当にいいことだと思う。
本質は何かを問い、思考停止をやめて各々にあったオリジナルな答えを導く。
でも式場で新郎新婦を待つ身には、様子が変わってきたことで、戸惑いが隠せないこともある。
考え抜いた結果、従来の盛大な結婚披露宴を行いたいと、強い思いを抱く人ほどやりたい形が形成されていて、デザイン画も出来上がっている。設計図もある。
アトリエの”ブランド”は不要になる。
そうなれば、職人は不要で私たちはただの人間に成り下がる。
設計図はあるんだから、作るのは、誰でも良くなる。
ベルトコンベアが動き出す。
ただ、こんどのベルトコンベアに乗っているのは、座ったままでは手に負えない。
というか、ベルトコンベアは動いたけれど、乗っているのは毎回仕様書の違うオーダーだ。
場合によっては動くスピードに合わせて走りながら作業したり、他のところからもパーツを持ってきたり。
やり方が全く見えてこなくても、言われた通りに手を動かすだけ。
私はベルトコンベアを眺めてる。
これからまたこの流れをやるには、自分の身体は不相応なのだ。
身体がもう、この世界にいられないのだろうかと、不安にさせる。
幸い、今はまだベルトコンベアを2本分できる体力がある。
それにベルトコンベアに向き合うことは、増えたといってもまだうちのブランドの看板を見て、オーダーメイドの相談がはいってくる。
量産工場に戻ったわけじゃない。
それでもいつかまた、自分の個を消し去らなければいけない日がくるのだと思うと—
その消耗の激しさを思うと—
使い捨てにされる日々を思い出すと—
ちょっと、先のことが不安になるのだ。
不安なのに
辛い日もあるのに
私の頭上に輝くこのシンボルがうるさく輝いてしまうから
きっと壊れるその時までこの儀式は続くんだと思う。
Photo by Alexandra Gornago on Unsplash
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