開示請求されたら見せるんだろうけど



仕事している時の自分は偽りの自分なんだろうか。

占星術はまったりだらだら独学中なもので、自分のことすら深くは読み取れない。それでも日々新しく覚えたことを元に、もう一度、今一度と自分の出生図を眺める。

どうやら私自身を表す惑星(太陽)と、社会での現れ方を示すところ(MC)が、ギクシャクしている。

単純に読み取れば”本質的自己”と”仕事・社会での自己”との間に乖離が存在する、と。

そうなんだろうか。


実際今のところ私はのびのびと仕事をしている。

決して稼ぎは良くないし、恵まれた環境のおかげで成り立つレベル。

それでも仕事自体は好きなことで、楽しめていて、職場環境も人間関係にも不満がない。(寒いわ!風邪ひく!くらいか)

お客様とおしゃべりするのが大好きで、それはそれはのびのびと働いている。

その姿は自己との乖離があるのだろうか。

仕事、に限らずパブリックな—表面的な公共性の高い場において、私の人物像は(自認している限りだけれど)、皮肉屋で、文句が多くて、感情の起伏が激しい人物。陽キャっぽい。

もっとあるけどまあここは端的に強調されるところだけ。

でも、プライベートな場においてその限りではない。

もうすこし思慮深いし、感情は案外穏やかにしている。根っからの陰キャ。むしろパブリックな人物像とは真逆のキャラクター。

そう言う意味では、乖離しているんだろう。


もちろん、両者間は断絶しているのではなくて、

仕事仲間の中でも、親しい人にしか話していないことがあったり、チームには話すけれど別セクションの人には話さないことがあったり。

パブリックな自分とプライベートな自分。その分量にもグラデーションがある。

とはいえ、両はしは真逆でさえある。

それは確かに本質的な自己と、仕事・社会に立つ人物像との乖離だ。

たとえプライベートな関係とされる親しい友人であっても、”パブリックな自分”の方が濃度が高いこともあるし、”プライベートな自分”を特別隠しているわけでもなかったりする。

それでもその濃淡は、無意識のうちに使い分けられている。

最近ちょっと特定の場所だったり(以前書いた「あたらしいSNS」とか)、特定の人には意識的に(有意識的に)プライベートな自分を表すようにしていたりする。

意識的になると、実際こんなに乖離しているのかと実感する。

まあどちらも、嘘も本当もない、私自身であることに変わりはないのだけれども。


Photo by yulia pantiukhina on Unsplash

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