海と白いシフォンと音楽



Facebookを見ていると”角さん”のメッセージ投稿が必ず目に入る。

沖縄のマスターヨーダ。カウンセラーの中川角司氏。

魂の目的を模索する人たちを応援するいつもの投稿が、今朝はとくに目に入っていろんなことを感じさせてくれる。

今日は「愛について」の気づきについて。

「愛とは」という話題は、多分おそらく私にとっては恋愛のそれに限らず、すごく重要な、知りたい事柄なのだと思います。


角さんに質問をしたことがあります。

「愛しているのに、愛のはずなのに、一緒にいられなくなりそうです。
私のこれはもうただの執着(エゴ)になってしまったのでしょうか」

愛かエゴか

この命題を常に問い続けるくせがついています。そんななかで、当時「きっとこの人以外に愛せる人なんていないのだ」と思っていた人との別れが近づいていて、余計に知りたかったのです。

今自分が抱いているものが、彼との時間が作り出した執着でしかないのか、本当の愛なのか。

彼のために、と。彼といるためにと、努力しているようだけれども
「そう在りたいと思っているのか、そう在らねばと思っているのかです」
一瞬考えてしまって、口をつぐみかけて「そうか…」と呟いて、言い訳を続けた記憶があります。

「そう在らねば」と、努力し続けてきた自分のための言い訳でした。

彼から別れを告げられて、全てが終わりへ向かう数日前のことでした。


今日の角さんの投稿が、あの日のことをもってきたのですが、映画のワンシーンかのようです。

真っ白の砂浜と、青い海。ウェディングドレスとシャツのカップルがセルフ前撮りをしている姿。秘密の場所へむかう道中。
あの日、みんなで歩いていたのに、二人でその話をさせてもらえたのはきっと意味があったんだと、ハートが引き裂かれるような感触の中で角さんの言葉に思考を巡らせていました。

その日から一年もしないうちに、私はケロっとしていて、
去年より今年が、昨日より今日が、今が、一番幸せだ
などと言えるようになっていました。

完全に、「彼とのストーリーは終わった」のでした。

だって、あの頃の自分は「そう在らねばならぬ」だったし、それはあの瞬間に即答できなかった時点で、わかっていたことでした。

ただ、今日は「終わった」物語を、
ああ終わったんだね。
と裏表紙を見た思いでした。

「愛しましたか?」については、強い思い込みの中で愛しているんだということを自分で信じ込むことは出来る。

ですが、「愛されましたか?」については、愛されているという事は、気づかなければ永遠に分からない。

最近は気づきのことを書くことが多いですが、本当に「気づきの扉」が開けなければ、その先の学びには進みません。

引用元:中川角司|facebook 

「愛しましたか?」は、多分十分に経験した。

思い込みも、信じ込みも、十分に。

じゃあ次に私が気づくべきは「愛されましたか?」なんだと。

未だに、これがずっとうまく出来ない”気づき”だから。

そして、自分に許可できないことだから。


あの日の海の思い出が、また別の思い出を連れてくる。

”備瀬のワルミ”に行った時のことです。
(現在は立ち入り禁止となっています)
打ち寄せる波が白く泡立って、まるでシフォンのようで花嫁のトレーンとベールを思わせました。

あの時のインスピレーションは、今の自分の仕事において背中を押してくれるインスピレーションです。

私はすぐに連想ゲームに入るので、思い立って映画をみはじめました。
久しぶりに『マンマ・ミーア!』を。
沈んでいた今朝の心が白いシフォンに包まれて、若々しい少女に戻ったような気分にさせてくれました。

そしてまた、記憶につながっていくのです。


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