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見栄をはりたくって、みっともない

本来自分が感じたり、考えたりしたことを 否定される癖がついて、黙り込むようになった。 同じく、「人様にお見せするにあたって…」「見栄をはりたい」などと思うようになり、 誰も見ないとわかっているブログさえ、黙り込んでしまった。 mixiがあって、まだSNSって言葉が生まれて間もない頃。 私はネットに自分の言葉を吐露することが大好きで それこそ迷いもなく、誰も見ていないとわかっていた。 それでこそ、自由に吐露できるのだと思えていた。 なのに、今はどうしてネットにさえ自意識過剰になったんだろう。 大人になっていくにつれ、出会った人が増えるにつれ、 くだらないかっこつけがたくさん必要になった。 出会った人それぞれに合わせて、仮面をかえるものだから、 結局どれが素顔かさえわからなくて、 気がついたら居場所が変わってしまっていて。 そしたら「みんなが見ているかもしれないところで、どの自分でいるべきか」と、 戸惑うようになった。 誰も見ていないし、誰しもが見ている。 仮面の下さえ、綺麗に取り繕って、押し黙ってしまう。 だって「どうせ、まちがってる」から。 私なんてどうせ、と寂しがりがずっと言っている。 声が聞こえたんだから、自分で自分を迎えに行ってやらなきゃいけない。 寂しいに決まってる。 だって手足をもがれたような痛みで、そこにピン留めされてしまったみたいだから。 みっともない自分を迎えにいこう。 そんでもって、開き直ろうと思う。 私はこんなに根暗で、正直幸福な状態を保つなんて芸当は、すごく体力を消耗するんだって。

ハロウィン

今は地蔵盆みたいに、子供たちが仮装してお菓子をもらいに行けるご町内とかあるんだろうか。 子供の頃、まだ周囲には「ハロウィン」なんてものが「外国のお祭り」くらいのものだった頃。弟といっしょに魔女の帽子とマントで祖母の家に行き、叔母からお菓子をもらってビデオを見るのがハロウィンだった。 うちの家は、父も叔母たちもカトリック系の学校出身であったりしたこともあって、わりと西洋文化が大好きでハロウィンもその一環なのか、物心ついた頃から普通の行事だった。 USJができたときには、ハロウィンシーズンに行くと仮装グッズが売られていて、 まだネットでそういう物が手に入ることも、ダイソーもなかった頃だから大喜びで仮装グッズを買い、毎年のようにそれを着て叔母と祖母に「トリックオアトリート」と声をかけに行った。 叔母はとくに西洋文化に詳しく、渡されるお菓子もいわゆる「キャンディ」で、日本では見かけないような色や形の飴やマシュマロが、オレンジ色のプラスチックでできたジャックオランタンに詰め込まれていた。 そして私と弟は、そのまま叔母の部屋で”ハロウィンにしか見せてもらえないビデオ”を見ていた。 ディズニー短編集で、「怖いお話」だけが詰め込まれたオムニバスVHSで、いつもはなんでも見せてくれていた叔母たちにも、なんとなくハロウィンにしか見せてと言わなかった気がする。 ミッキーたちがお化け退治をしたり、骸骨が踊るシリーシンフォニー、 「今日はラッキー、今日はラッキー、俺はついてるぞ〜」と歌うドナルド(この後最高に不運が続く)。 魔女と結託する甥っ子アヒルたち。 そして極め付けは『ナイトメアビフォアクリスマス』 ジャックとゼロは弟のヒーローだった。 まだまだマイナーだったけれど、ちょうど少しずつTDLのホーンテッドマンションでのコラボなどが現れ始めて、トレーナーやグッズを弟はよく買ってもらっていた。 (私の推しはプーさん) 学校では通じないけれど、弟と私のなかでは「ハロウィン」は当たり前だった。 ハロウィンとクリスマスは、我が家では非常に伝統的な形で存在していた。 それは毒親ながらも父が一生懸命に「子供たちが子供たちらしくいられるように」たくさん与えてくれたからだと思う。 大人になっても、ハロウィンとクリスマスは私には特別なままで、 必ずハロウィン用のディスプレイを出してきて、部屋の中に飾り、 今...