みんな普通でいる努力をしている

クリニックの待合室。 「ぼちぼち、先生に話すことなくなってきたなぁ」とも思うけれど、ある意味通院は免罪符のようになっていて、自分にとってのフツーは " 通院するくらい " がちょうど良いのかもと思えてくる。 「フツーでいるのは難しい」 とよくぼやくようになった。 誰かの言動に一喜一憂しても、他の誰かと話すだけで心を和ませたり。 朝きちんと起きて、電車に乗ったり。 そういう、みんなが当たり前にしてるフツー。 これが私は上手く出来ない。でも何度もそうぼやく。つまりホントは「フツーになりたい」。 フツーになりたくて仕方ない。 お仕事も、フツーの企業で書類処理とか電話対応とか。朝行って、夕方に帰るとか。帰ったらご飯作って、お家のことして、眠りたい。 フツーに誰かに特別負荷をかけることなく、人と関わって暮らしたい。 ただ、フツーに暮らしたい。 でもまぁ自分のこれまでに選んできたことのひとつひとつが、今の自分の体質とか性質とかが、 フツーでいられない。フツーでいる努力をしてこなかった。 なんでこんな体弱いねん、と。 なんでこんなメンタル弱いねん、と。 通院が、フツーをきちんと行う皆々様への免罪符になってくる。 「ごめんな、こういうことですねん」 そう言うみたいな。 でも多分この免罪符は、本当はみんなほしい。 フツーの人も、本当はほしい人がたくさんいる気がする。 だから、本当はみんな「フツーでいるのはしんどい」んじゃないかな。 フツーっていうのは、 結構な努力を前提とした在り方なんだよきっと。 だから、あんまりフツーに近づけなくても良くて。 それでも、努力を惜しみたくないと思うきもちはどこから来るのかしらと結びかけの靴紐を眺めて考えてる。