投稿

8月, 2024の投稿を表示しています

ちょっとずつ良くなってきた。ちょっとずつね。

イメージ
 春になってから、知らぬ間に迫ってきていた”不調”の手がいよいよ伸びてきて、 気がついたらすっかり身も心も破壊された気分が続いてる。 なんとか「普通なふう」に過ごそうと、友達と会う機会を必死に削らぬようお決まりのDJパーティーには顔を出す。 どうにかこうにか、元気に愚痴って笑顔で「ほんとやばいよー!どうしようー!」と笑うことで、自分の中に鎮座している希死念慮に圧をかける。 彼は非常に厄介で、決して消えて無くなってくれない。私が元気な時だってずっとそこに座り込んで、じっとこっちを見ている。元気がなくなってきたら、そっと肩を叩いてくる。 だから彼にそこでじっとしてろと、圧をかける。 本当は、お願いだからだれかやって!この問題解決やって!!と叫び出したくなる。 けれど、そんなこと誰にも頼めるはずないし、誰もできるはずがない。 それは周囲が薄情なのではなくて、結局自分のことは自分でしか解決できないものだから。 思わず、頭の中に居座っている彼のところに泣きついて、いっそ楽になれやしないかと過ぎる。 朝起きてから出かけるまでの小さなタスクから、来週の予定をどうするか、この後誰に会うのかといったささやかなことも。 今自分が抱えている問題に対して、どのように向き合ってどう対処するのかといった実際的な事柄まで。 そして、身体の不調に気づいて対処したり、防ぐための行動や選択といったことさえも 今私は何一つ、自分でコントロールすることが難しくて 暮らしていることの全てが、惰性的。 息をしていることさえも。 そんな今の状態が非常に悲しくて、いっそう辛くなってしまう。 ただ、やっとすこし落ち着いてきたのか、周囲のサポートの手をとることができそう。 だいぶ良くなってきたのかもしれないし、底にたどり着いたということなのかもしれない。 少なくとも、自分自身の支配を自分ができていないことを、実感して認識できてきた。 だからなのか、ちゃんと文章にできるようになってきた。 ついさっきまで、自分の抱えているものはどこにどのように記せば良かったのか、思い出せなかった。 昔からずっと、とりとめのない誰も見ないだろう文章は、WEBに流してきたのに、 文章を書くことさえできなくなっていたから、今こうしてタイプしているのは良い兆しなんだと思う。